理想郷 ~二次元という平面世界~

その身体の薄さから、最近或るお笑い芸人さんから

AQUOSみたいだな」と言われ、

「やった!俺、限りなく次元に近い人間じゃん!」

と喜んだ廃人、をたらんです(笑)

 

 

さてさて、アニメを語る際、よく「二次元」という言葉が出てきます。ご存じの通り、X軸・Y軸の二軸で為される、簡単に言うと「奥行きの無い平面世界」ですね。「描かれるもの」であるキャラクターたちは、当然この平面世界にしか存在し得ないのです。(最近フルCGで、命を吹き込まれた瞬間から三次元の存在となっている「画」もありますが、それもここに含めることとします)

 

 

二次元世界では「萌え」という言葉がよく使われますが、この定義も起源も曖昧な語の厳密な話は今回はさておき(詳しくはこちらwikipediaを参照)、単純化して、「視聴者各々がそれぞれのキャラ、もしくはキャラの”属性”等に対して感じる好意」とすると、アニメーションという二次元世界は完全に「人の手によって創造される」世界であり、そこにはその製作者個人もしくは集団の「理想」が詰まっていると考えることは出来まいでしょううか?

 

 

例を挙げましょう。性格属性要素でカテゴライズすると、例えば以下のように分類される。(参考文献:別冊オトナアニメ『アニメになったラノベ美少女』)

 

ドジっ娘・天然キャラ
◆元気っ娘
◆電波キャラ
◆無口キャラ
◆内気キャラ

 

挙げるとキリが無いですが、こういった要素が挙げられます。実際にはもっともっと細かい要素の複数の組み合わせに外見的属性要素、そして中の人の声等も含めてキャラクタライズされるわけではあるが、「属性」「組み合わせ」でキャラが「生成」されるという有限性が、或る意味完全であり理想であると言えませんか?

 

 

また、そうして作られた「理想の存在」は現実世界では絶対に存在し得ない「二次元の存在である」と理解しているから(一部夢と現実を混同している場合を除き…(笑))こそ、夢は夢であり美しいと捉えることが出来るものと、私は思っています。だからそれは常に片思いで、片思いは自分の中で完成された恋です。自分の胸の中に、言ってしまえば点で存在する、いわば零次元の、究極の理想なのかも…、なんて(笑)某アニメではそれをこじらせて身を滅ぼし蛇神となってしまった少女もいましたね…。

 

 

逆に同じ画面上の存在だとしても、実写映画やテレビドラマの登場人物は、この世に、この奥行きのある三次元の世界に生存している人間であることは、誰もが認識するところかと思います。俳優と言えど、生身の人間。古来より様々な宗教等に於いても、人間は不完全な生き物であることが前提とされて来ましたし、重度の双極性障害や躁でも無い限り、我々がこの世で日々生活している中、自分が不完全であることを認めない瞬間等皆無であろうと思います。

 

 

こういった人間の不完全性を嘆き、完全な存在への羨望から、かの有名なNERV総司令、碇ゲンドウ氏は人類補完計画に踏み切ったものでした(『新世紀ヱヴァンゲリオン』より)。思えばセカンドインパクトの時代設定が2000年。来年2015年にはシンジ君は「逃げちゃだめだ」と使徒に立ち向かうのですねぇ…(笑)

 

 

話が逸れましたが、その二次元と三次元の狭間の存在が、最近出現するように(というか、そう呼ばれるように)なりました。声優さんです。キャラクター(二次元)の「中の人」である=三次元と二次元の中間、「2.5次元」の存在というわけです(変換がめんどくさいので、小数点付きはアラビア数字で統一します)。

 

 

それに倣い、レイヤー(コスプレイヤー)さんやアイドル、メイド喫茶メイドさん(この手のお店のバリエーションは最近豊富なので、代表としてメイドとさせて頂きます)等も2.5次元とされたりしますが、僕個人としては、この方々は2.6~2.9くらいの範囲で存在すると思ってます。レイヤーさんたちはアニメや漫画のキャラのコスをするので、二次元に近いですが、反対にAKB48さんのような大物のアイドルになればなるほど、限りなく三次元に近い2.9かなと。

 

 

まぁそんなことはどうでも良いのですが(笑)、一転、走るということにも「次元」という考え方を、僕は用います。物理学的な意味で。

 

 

速く走るということは物理学的に捉えると、「重心をより短い時間で遠くへ運ぶこと」だと言えます。それが例えばフルマラソンだとすると、「重心をより短い時間で、きっちり42.195kmに一番近い移動距離にして運べる」ことこそ、一番の速さへの近道だと言えます。そしてキッチリ42.195kmで運ぶには、スタートの重心位置から縦ブレも横ブレも一切しない、つまり直線運動をすることになります。直線、すなわち「一次元」。これが理想です。

 

 

しかしながら、完全な直線運動なんて、人間の出来る運動ではありません。出来ても、それは美しく走ることからはかけ離れます。哀しいかな、無垢過ぎる理想は美しくも、理想ばかりを追い求めた綺麗過ぎる生き方など、実社会に於いては絶対に実現不可能且つ、美しすぎて逆に汚いものとなってしまうというパラドクスを孕むものであるということは、きっと生きている上で誰もが味わったことのある経験ではないかと思います。

そして単純に想像してみると、重心がケーブル上を移動するような、上半身と下半身の連動の一切ない走りなんて、僕は美しいとは思えません(笑)影絵アニメーションのようなカクカクとした、人間的なものは一切感じさせないものです。そう、我々は「直線」だけで美しさを表すのは至難の業なのです。直線を見て感動出来る域まで、僕は達せておりません(笑)

 

 

ではそれを二次元にして、或る程度の縦ブレは許可して横ブレは排除したとしましょう。そう考えるとどうでしょう。蹴り出しで得たエネルギーを最大効率のベクトルで推進力に変えようとすると、位置エネルギーも発生しながら、その位置エネルギーは着地した瞬間、動作的に言えば接地の瞬間から、身体の各筋や関節で負荷をコントロールしながら次の推進力のためのエネルギーとして再利用され、再び最大効率のベクトルで重心を運搬する源となるのです。横方向のエネルギーロスは無く、全てはゴールへ向かう前進のために、絶妙な連動を以て連綿と続いて行くのです!何と美しい!

 

 

 

しかしそれはあくまでも物理学的に捉えた移動の理想であり、もちろん、人間の身体の動作として見たときには、しなやかな動作を生みだすのは骨盤の回旋等の良い意味でのcontrolableなブレを含めて、また、筋活動を支える貯蔵エネルギーを少しずつ削りながらも速く遠くへ進もうとする人間の不完全さを慈しむ意味も含め、三次元的美しさというものも、僕は否定しませんし、美しいものだと認めます。

 

 

実際、全くロスの無い、いわば仕事だけをして生きていくことなんて絶対に無理が生じるという意味でも、ロス=余暇、あそびまで含めた「リアル」が三次元的なもの、ということですね。堀下さゆりさんという方の「カゼノトオリミチ」という、昔NHKみんなのうたになっていた歌が大好きです。少しの寄り道、それは人生を豊かにするツールかもしれません。

 

 

ただそれが、「血を吐きながら続ける悲しいマラソンですよ」(『ウルトラセブン』第26話「超兵器R1号」のモロボシ・ダンの台詞)となるまでになっては、それは惨めでただ苦しいだけのものとなるのでは?という意味で、我々トレーナーという存在があるもので、、、というのはまた別次元のハナシ(笑)

 

 

さて、なんでしたっけ?語り始めると常に脱線。どうも、をたらんです(笑)

 

 

だからつまり(上手く詰まってませんが…)、二次元は夢であり理想を求められるという意味で、アニメーションと走りは共通するものであると、僕は思っているのです!!非常に個人的で内向的で自分の理想をひたすら求める「走る」という個人競技を愛するのは、二次元と言う単純で明快な夢を常に胸に抱き、絶対にたどり着けないとも言いきれず、そこを目指しながらもやっぱり不完全である自分をどう補おうかという課題がよく見えるからだと思ってます。ギャップ萌えなのです(笑)もとい、ギャップ蕩れなのです(笑)

 

 

こんな事を言うランナーには出会ったことがありませんが…。

 

 

逆に絶対的に二次元と言う理想は出てこない、例えばサッカーのようなフィールドスポーツ、「個」だけではなく「集団」としての美学が関わり、動作的三次元の理想に「他との同調」という時間軸的理想も出現する(もちろん走る中でも全身の連動のタイミングという時間軸はありながらも、あくまでも個の世界ということで、三次元内で処理できる要素として)スポーツは、僕には複雑過ぎて気が遠くなるので、その夢を追えないという時点で興味が薄いのです…(笑)

 

 

次元が高次になる程複雑さを増すので、それを真に受けながら処理できる程僕は賢く無く、でもこうしてこんなよくわからない文章を書くことに時間を費やしている事でもお分かりのように、人生の基本軸からの、余暇という意味での幅、もしくは奥行きが与える豊かさも理解しています。

 

 

夢は二次元、実生活は三次元。

 

 

そういうものなのかなぁと捉えながら、日々走り、日々アニメを見ています(笑)

 

 

夢を追いながら生活する狭間の存在。…人間は夢を抱けば抱くほど声優さん的存在に近づくの?(笑)もうわけがわかりません(笑)

 

 

片思いで自己満足な、究極の零次元文章を書いてしまった…(笑)いいんでしょうか?ホントにこんなんで…?(笑)

 

 

このスペースから追放されないか心配にすらなる、をたらんです(笑)

 

※この記事は、以前某所にて掲載させて頂いていたものを2019年4月にオリジナル記事として転載したものなので、時折上記のような表現が出て参ります。

 

https://www.facebook.com/anime.runtripper

 

今週金曜、1月31日は、第三回として「らき☆すた」の舞台は埼玉県久喜市幸手市春日部市へ伺います。参加者、大絶賛募集中ですよ~!

 

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